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神戸地方裁判所 昭和48年(わ)303号 判決

主文

被告人を懲役八月に処する。

末決勾留日数一四日を右刑に算入する。

本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、神戸市須磨区大田町七丁目三の三須磨郵便局郵便課の郵便主任として勤務していたものであるが、同局に取集された封書内の現金を目当てに、昭和四八年三月一六日午后零時三五分頃から同日午后零時四八分頃までの間に、同局内において、取集二号便で同局区内から取集されて来た郵便物のうち甲野太郎より甲野花子宛の封書一通および乙山二郎より丙川三郎宛の封書一通を窃取したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(予備的訴因を認定した理由)

神戸市須磨区○○町×丁目×の×在住の甲野太郎は、昭和四八年三月一五日夜、宇和島市○○町×区在住の姉婿丁田四郎宛および同人方在住の母甲野花子宛に手紙を書き、妻の咲子に投函を依頼したところ、咲子は翌一六日午前一一時頃市場に行く前に山陽電鉄月見山駅前の月見山郵便局に立ち寄り、右封書二通に切手を貼り第一種普通郵便物として同局前のポストに投函した。甲野太郎、同咲子両名共に右封書二通を二つ折にして折目をつけたことはなく、各封書の裏側下部の折り返えし封じ目部分を剥離して糊付けするなど損傷したことはない(以上、≪証拠省略≫による)。又、神戸市須磨区○○町×丁目×の×在住の乙山春子は、同月一六日朝、浦和市○○○×―×―×在住の小学校時代の同級生丙川三郎に夫の乙山二郎名で手紙を書き、同日午前八時三〇分頃高校三年生の娘夏子に投函を依頼したところ、夏子は自宅で右封書に切手を貼って第一種普通郵便物とし、同日午前九時三〇分頃神戸市須磨区中島町二丁目住井表具店前のポストに投函した。乙山春子、同夏子両名共に同封書を二つ折にして折目をつけたことはないし、封書の裏側下部の折り返えし封じ目部分を剥離して糊付けするなど損傷したことはない(以上、≪証拠省略≫による)。ところで、須磨郵便局の郵便物取集め区域は二区に分かれ、前示各封書投函ポストはいずれも一区に属し、普通郵便物の取集は一日四回で、取集一号便は毎日午前八時二〇分須磨郵便局を出発し同日午前九時三〇分頃帰局し、取集二号便は毎日午前一一時一〇分同局を出発し同日午后零時二〇分頃帰局する。昭和四八年三月一六日の同局一区取集二号便の取集担当者は立花稔で、前示の投函された各封書は時間的場所的関係から同人によって取集され、同日午后零時二〇分頃に同局に帰局し、直ちに同局郵便課の取揃え・差立て作業に廻された(以上、≪証拠省略≫による)。ところが、近畿郵政監察局神戸支局に勤務する郵政監察官山川照夫および同事務官武部利朗は、かねて須磨郵便局関係で郵便物不着事故多発の原因を内偵し、勤務時間帯の関係から事故郵便物に最も数多く関係していたと見られる同局郵便課主任の被告人をマークして尾行等の捜査を続けていた折柄、昭和四八年三月一六日も被告人の担務指定表により被告人が「早一」と称する午前六時三〇分から午后二時三五分までの勤務と承知していたので、山川監察官が同日午后二時過頃から神戸市須磨区大田町七丁目三の三所在の同局裏手通用門に面した東西の通り(通称大田筋)の東へ辻一つ隔てた辺りで見張っていたところ、被告人は同僚の本田昭および松下剛士と連れ立って、同日午后三時一〇分前か一五分前頃右通用門から出て来た。山川監察官が被告人らの行先を予測して徒歩で約十分位先の山陽電鉄板宿駅前に先廻りして張り込んでいたところ、被告人ら三名は同駅南側の路地を同駅東側の南北に通じる道路に出て、同駅東側踏切を北に渡り、南北の板宿商店街と東西の銀映通りが交叉する十字路の東北角の山陽電鉄直営の売店で競馬情報を買い立話した後、銀映通りを東に入って北側の天一パチンコ店に入った。そこで山川監察官は、天一パチンコ店の向いの銀映ホールパチンコ店の前で見張っており、後から来合せた武部事務官も天一パチンコ店の東隣のスズワパチンコ店前で見張についた。武部事務官は被告人を尾行するために同日午后二時過頃山川監察官と共に郵政監察局神戸支局から板宿駅に来て、山川監察官の指示で被告人の通常の通勤路である同駅東側の南北に通じる道路が前示東西に通じる大田筋と交叉する辺りに同日午后三時一〇分頃まで張り込んでいたが、被告人が現われなかったので山川監察官との打合わせにより板宿駅前に引き返し、同人から被告人の動静を聞いて前示のとおり見張りについたものである。山川監察官および武部事務官は、同日午后三時五〇分頃、被告人が天一パチンコ店西側出入口から出て来て幅員約六、八米の銀映通りを南東方向に斜に横切り、道路中央付近で背広上着の左内ポケットから白い封筒様の物を右手で取り出し、更に数歩進んで平田町二丁目川崎屋毛糸店北西角にあるポストに投函するのを目撃した。武部事務官がポストを監視する間に山川監察官が須磨郵便局郵便課計画主事大城代勝寿に電話して来て貰い、三人立会の上で同日午后四時過頃右ポストを開函して郵便物を取り出し、最寄りの板宿郵便局に持ち帰り検討した。右郵便物は当日取集三号便によって同日午后三時二〇分に開函し取集された後、同日午后三時五〇分前示のとおり武部事務官が監視に立つまでの間に同ポストに投函されたものである右郵便物の中に封書(第一種普通郵便物)で二つ折にされた形跡があり、裏面下部の折り返し封じ目部分に剥離の形跡のあるもの二通が発見され、しかもこの二通は右郵便物中最上段に乗っかっており、最後に投函されたと推定された。この二通の封書のうち一通が前示の甲野太郎から甲野花子宛のものであり、うち一通が前示の乙山二郎から丙川三郎宛のものであって、既に取集二号便として立花稔によって取集され、同日午后零時二〇分頃須磨郵便局に到着しているから、同局の通常の業務過程によれば、同局郵便課で取揃えて、消印し、差立区分して、遅くとも同日午后一時までには送達に廻されている筈なのに、切手の消印は押されてなかった(以上、≪証拠省略≫による)。従って、右封書二通は取集二号便の取集担当者立花稔が窃取したのでない限り、同局郵便課の普通通常取扱室(縦横約一一米)での取揃え段階で、同日午后零時二〇分頃から同日午后一時頃までの間に、同課の誰れかによって窃取されたと推測される。当日取集二号便の取揃えを担当したのは、岸本與一主事、本田昭、アルバイトの林加津子の三人であるが、被告人も同局郵便課に主任として勤務しており、同課の普通通常取扱室に席があり、担務として取揃えの補助をすることは勿論、普段臨時に取揃えの補助をすることもあり、同課の部屋に出入りすることは勿論、取揃え等の作業に従事しても怪しまれることのない立場にあった。被告人は当日三月一六日は午前六時三〇分から午后二時三五分までの「早一」勤務で、「特殊の補助」担務として西岡節郎と共に普通通常取扱室の南隣の書留通常取扱室で書留の処理をすることになっていたから、神垂三号便が同局に到着した同日午后零時四八分前後には同便の書留の処理のため書留通常取扱室に入ったと考えられ、窃取の暇に乏しいけれども、同日午前一一時四五分から午后零時三五分までは休憩時間であり、同日午前一一時五〇分頃同局小包係松下剛士と局外の食堂「とし」に食事に出掛け、同日午后零時二〇分頃帰局し、普通通常取扱室の北隣の小包取扱室で松下としばらく雑談して、同日午后零時三五分頃同室を出た後は、前示神垂三号便が同日午后零時四八分に到着し被告人が多忙になるまでの間、普通通常取扱室で折から取揃え中であった取集二号便の前示封書二通に接する暇と機会があった(以上、≪証拠省略≫による)。前示の各事実を総合すると、昭和四八年三月二二日になって甲野太郎より甲野花子宛の封書の裏側左下部に指紋が顕出され、翌二三日右指紋が被告人の右手拇指のものと確認された事実(≪証拠省略≫による)は、後記の事情により、被告人が三月一六日に右封筒に触った証拠となし得ないにしても、被告人が三月一六日午后零時三五分頃から同日午后零時四八分頃までの間に、須磨郵便局郵便課普通通常取扱室で封書二通をひそかに窃取した事実は十分推認できる。窃取の目的は現金目当て以外に考えられない。窃取の態様は、普通通常取扱室が人目のある場所であるところから考えると、封書二通を着衣のポケット等に隠匿して持ち出したのであろう。隠匿して持ち出した後、即ち封書二通の窃盗が既遂に達した後に、須磨郵便局内あるいはその後行った天一パチンコ店内の人目につかない場所で開披したか開披しようとしたのであろう。≪証拠省略≫を綜合して見ても、右封書二通の裏側下部折り返し封じ目部分が開披されようとした形跡はあるが完全に開披されたとは断定し難い。しかし、開披は封書二通の窃盗が既遂に達して後の処分であること前示のとおりであってみれば、開披の有無は窃盗犯罪認定の証拠となる意味はあっても不可罰的事後処分であって犯罪の成否に関係がない。つまり郵便法七七条違反は成立しない。当裁判所が予備的訴因の窃盗を認め本位的訴因の窃盗未遂、郵便法違反を採らなかった理由は以上に尽きるが、要するに本件証拠によって認定できる事実は、封書二通を既に隠匿持ち出し窃取している、開披はその後ということで、現金窃取の目的で開披中、又は開披後、現金が封入されていないことに気付いて中止したという事実ではないのである。後者の事実が認定できるなら郵便法違反と窃盗末遂が成立し、両者は牽連犯の関係に立つと考えられる。従って本件本位的訴因と予備的訴因は同一公訴事実の範囲内にあり、郵便法違反が無罪である点については主文でその言渡しをしなかった。

前示事実の認定の前提として、本件各証拠の信憑性、被告人のアリバイ、本件が被告人の失脚をねらう管理者側の陰謀か、検挙の効を焦る捜査側の捏ち上げか、等が問題となるので、以下その主要な点についての判断を示して置きたい。

本件の要は、被告人が本件封書二通を平田町二丁目のポストに投函するのを目撃したという証人山川照夫、同武部利朗の当公判廷における各供述の信憑性である。山川、武部両証言が結局その基本的な部分で信用できると判断した理由は、両証言共に弁護人主張の自己矛盾、他の証拠と一致しない部分、一部疑わしい点が無い訳ではないけれども、それはいずれも被告人を陥れるために全然経験しない事実を証言したが故ではないかとの疑念を抱かせる性質、程度のものではなく、一方本件全証拠によって見ても、捜査側あるいは郵便局管理者側が窃盗、偽証、誣告等の犯罪を犯し事実を捏造してまで被告人を陥れなければならない必然性を首肯し得ないからである。事実を捏造する可能性も殆んど不可能に近いと考えられる。何故なら事実を捏造するためには山川監察官か武部事務官があらかじめ本件封書二通を入手して平田町二丁目のポストに入れたか同ポストに入っていたと装わなければならないが、須磨郵便局郵便課での取揃え段階でも、その前の取集二号便の取集段階でも、同人らが直接これを入手する可能性は殆んどない。郵便課員、取集担当者、あるいは封書の差出人にあらかじめ依頼しておいて間接的に入手する可能性が考えられなくもないが、正当な依頼理由がなく依頼を拒否され露見する危険性が極めて大きいので、その現実性に疑問がある。少くとも本件においては、そのような陰謀を疑わしめるに足りる具体的な証拠はない、そこでひるがえって本件では被告人以外の犯人が考えられない。何故なら被告人以外に山川監察官および武部事務官を本件封書二通の存在する平田町二丁目のポストに導いた者が浮んでこないからである。被告人以外の犯人が平田町二丁目のポストに本件封書二通を投函したのだとしたら、山川監察官らはその所在を知る由もないのである。

山川証言について、例えば(一)「板宿駅前に先廻りして張り込んでいた理由は、被告人、本田昭および松下剛士が金曜日の午后三時から四時にかけて同駅前で競馬新聞を買うのが何時ものことであったから」というのであるが、これは何時ものことであったか否かの点で証人本田昭、同松下剛士の当公判廷における各供述、担務表、被告人の当公判廷における供述と相違している。従って山川監察官の予測の根拠は山川証言のニュアンス程の確実性のあるものではなかったかも知れないが、山川監察官の予測が全然根拠のない予測でもなかったことは本田、松下各証言自体にもあらわれているし、山川監察官は被告人が通常の通勤路を通って帰宅する場合も予測して武部事務官をその通りに張り込ませているのであるから、彼此綜合すると納得性のある証言で、弁護人主張の山川監察官が板宿駅前に張り込んでいたというのが全くの嘘だという疑問には直ちに結びつかない。例えば(二)「被告人ら三名は午后三時一〇分前か一五分前に須磨郵便局通用門を出て来た。先廻りして板宿駅前で張り込んでいると、被告人ら三名がやって来て同駅東側の踏切で午后三時一分の姫路行き電車の通過待ちをした」というのであるが、これは本田、松下両証言、被告人の当公判廷における供述共に右電車の通過待ちを否定するか記憶なしと答え、須磨郵便局を午后二時五〇分以後に出発し、途中駐車違反車を排除するのを見物したりして板宿駅まで普通徒歩で一〇分のところ倍位時間を要した。従って午后三時一〇分過の到着という概ねの結論と相違がある。

しかし右時間についての信憑性はいずれが是とも断定し難い。あるいは山川証言が不正確なのかも知れないが、それは不正確だというだけのことで確定的な事実に明らかに反するという性質のものでないから、弁護人主張の張り込みの否定には必らずしも結びつかない。例えば(三)「被告人が平田町二丁目のポストへ本件封書二通を投函したのが午后三時五〇分で、開函が午后四時過」というのに対し、証人乙山春子、同甲野咲子の当公判廷における各供述は共に「山川監察官が同証人ら方を訪れたのは同日午后四時から午后五時頃」という点をとらえて、弁護人は、平田町二丁目から乙山方まで徒歩で一時間以上、甲野方へは更に三〇分要し板宿郵便局での郵便物の点検の時間を考慮すると、山川監察官は被告人がポストに封書を投函したという午后三時五〇分以前に封書を入手していたと考える他ないと主張するのであるが、乙山証言は「山川監察官が自宅に来ていると娘から電話のあったのが午后四時から五時頃」ということ、甲野証言も「山川監察官と自宅で合ったのは午后四時過だったかな」「主人が帰る前だから多分午后五時にはなってなかった」「主人が帰るのは午后五時三〇分から四〇分の間」ということで、いずれも相当幅のあるあいまいな表現になっている。後者が午后五時三〇分以後でない点に主人の通常の帰宅時間前という根拠があるだけでいずれも正確なものとは云えない。

地図上の直線距離を板宿郵便局付近から乙山方付近まで計ると約一キロメートル、乙山方から甲野方までは更に約七〇〇メートルである。いずれも同じ須磨区内で街路の発達した市街地であるから多少迂廻したとしても徒歩で時速約三キロメートルとして計算して前者が約二〇分、後者が約一四分を要する距離である。板宿郵便局での郵便物の検討に約一〇分、家を探すのに約一六分を見込んでも合計約一時間で、山川証言の開函時の午后四時過から数えて約一時間後の午后五時前後までには山川監察官が乙山方は勿論甲野方を訪問することは不可能ではない。多少ゆとりがないという程度である。そしてこの午后五時前後の訪問は乙山、甲野両証言の範囲内であるから弁護人の主張は根拠薄弱という他ない。例えば(四)被告人が本件封書二通を平田町二丁目のポストに投函する際の目撃内容として「二つ折にした白い封筒二通を背広上衣から取り出した。青色の切手が貼ってあるのが見えた」というのであるが、≪証拠省略≫によれば、山川証言が右の内容の目撃地点として証言した銀映ホール東入口前一米の地点(イ)からは右目撃内容を認め得ず、山川証人が検証に際して目撃地点として指示した右(イ)点より約九・五米西方で銀映ホールの西端に当り店際より約二・六米道路に入った地点②で始めて右目撃内容のうち白い封書を手にしているのを認め得るに止まり、それが二つ折になっているかどうか、青い切手が貼ってあるかどうかは確認し難いのである。このくいちがいは山川証言の信憑性を大きく減殺するものであり、他の証拠の補強がなければ致命的欠陥とも云えるかも知れない。たゞ山川証言は一般的に見張りの位置は被告人の動きに合わせて臨機応変に変えているという前提で証言しているから、目撃位置(イ)点も弁護人主張のように絶体不動の意味で証言した訳ではなく、目撃内容も目撃事実を強調したいあまりに前後の認識を綜合して付加潤色する勇み足があったものと解する余地がある。山川監察官の反対側で被告人を挾むような位置で見張っていた武部事務官も、被告人が平田町二丁目のポストに封書を投函したのを目撃したと証言しており、山川監察官一人の目撃でない点も山川証言の信憑性判断に際し考慮さるべきである。山川証言は被告人が何か白い物を平田町二丁目のポストに投函するのを目撃した限度で信憑性があり採用できるものと考えられる。

武部証言について、例えば、被告人が平田町二丁目のポストに封書を投函した際の目撃内容について、武部証言は山川証言と同内容の目撃事実を証言しているが、弁護人は武部事務官の張込位置からは被告人の後姿しか見えない筈だと主張している。しかし当裁判所の検証調書、山川照夫作成の見取図、第七回公判調書末尾添付の武部利朗作成の図面の位置関係で見る限り、武部事務官の見張位置から被告人の後姿だけしか見えないという結論は出て来ない。被告人が道路を斜に横切り道路北側にあるポストの直前に至れば、ポストに対して北面するので、道路南側にいる武部事務官からは被告人の右後背を見る角度になるけれども、その前の段階で被告人は道路を北東方向に斜に横切り東方にいる武部事務官の張込位置に近ずいて来るのであるから、武部事務官は被告人の右前胸を見る角度に居る。なお、武部証言について、山川証言についての前示例(三)、(四)と同様のことが云えることは云うまでもない。

証人三戸正浩の当公判廷における供述は、同証人の監察官に対する供述調書を閲覧した後の供述であることが同供述自体によって明らかであり、右供述のうち三月一六日当日の見聞にかゝる被告人や関係人の具体的な言動、事務の処理情況に関する供述は、右供述調書の内容に影響されていることが同供述自体によって明らかであるから、証拠能力の確定してない右供述調書の内容を引き写したおそれのある同証人の右供述部分は証明力は勿論証拠能力も疑問である。しかし、同証人の供述のうち、一般的な郵便課の業務課程や担務内容、事務処理方法に関する供述は、供述当日までの長い経験に基く供述で、右供述調書の内容に影響されるとは考えられず又その形跡もないので、同証人の右供述部分には証拠能力があるものと判断した。

前示のとおり、三月二二日に至って封書一通の裏面下部に指紋が一個顕出され、翌二三日にそれが被告人の右手拇指のものと確認された。証人Oの当公判廷における供述によれば、同人は勾留係裁判官として三月二一日の被告人の勾留尋問に際し、被告人に同行した監察官に本件封書上の指紋の有無について質問したところ、指紋はないという返事で、それが指紋を調べたけれども無いと云ったのか調べてないと云ったのかはっきりしないというのである。勾留尋問の翌日の三月二二日に指紋が顕出された経緯を見ると、それまで指紋を調べてなかったがO裁判官の示唆によって調べたところ指紋が顕出されたと解せられなくはないが、一六日から二二日まで六日間も経過しており、その間指紋を調べてない程であるからその保管も厳重な注意が払われたとは考えられず、被告人に手渡した可能性を確実に否定する証拠もないから、右顕出にかかる指紋が被告人の右手拇指のものだからと云って、被告人が三月一六日に右封書に触った証拠とはなし難い。しかし右指紋を除外しても前示犯罪事実を十分認定できることは前示のとおりである。

最後に被告人のアリバイであるが、本件封書二通の窃取される可能性のあるのは取集二号便が須磨郵便局に帰着する午后零時二〇分頃から同号便の取揃、差立区分が通常終了する午后一時までの間であり、場所は同局郵便課の普通通常取扱室以外にない。証人松下剛士の当公判廷における供述によれば、被告人は松下と共に午前一一時四五分頃局外の食堂「とし」へ食事に行き、同日午后零時二〇分頃同局小包取扱室に帰って雑談し、同日午后零時三五分休憩時間が終って特殊の仕事にはいった、というのであり、被告人の捜査段階での供述や当公判廷での供述も大体これに相応しているから、同日午后零時二〇分の取集二号便の到着から同日午后零時三五分までは同局小包取扱室に居たアリバイがある。しかし松下証言は被告人が同日午后零時三五分休憩を終って特殊の仕事にはいったと云うが、必らずしも書留通常取扱室まで同行して見届けた趣旨ではなく、そのようなことはしないのが普通であり、≪証拠省略≫によれば、同局の部屋の配置は小包取扱室、普通通常取扱室、書留通常取扱室が北から南に一列に並んでおり、小包取扱室から書留通常取扱室に行くには、普通通常取扱室を通る構造になっている。一方証人西岡節郎の当公判廷における供述によれば、三月一六日特殊係の担務であった西岡は同日午前一一時四五分に休憩が終って以後書留通常取扱室で書留の処理をしていたのであるが、被告人が休憩から帰って来た時刻については正確な記憶がないというのである。検察官が神垂下り三号便の到着した午后零時四八分頃かと問えば然りと答え、弁護人が午后零時三五分から特殊に入って来たんじゃないですかと聞けばそうだと思いますと供述を変えている。従って、被告人が小包取扱室を午后零時三五分に出て書留通常取扱室に入るまでの何分間かは被告人に時間的にも場所的にも窃取の機会があったと云う他ない。弁護人主張のように当日特殊の仕事が忙がしかったということは仮にあったとしても相対的なアリバイに過ぎない。被告人が普通通常取扱室を通る際に、何分間かの僅かの暇があれば、当時取揃え中の本件封書二通をひそかに着衣にしのばせ持ち去ることは可能である。普通通常取扱室には被告人の常席もあり、被告人が郵便課主任として取揃えを手伝っても怪しまれない立場にあってみれば、窃取の機会を長時間うかがう必要もなかったであろう。

(法令の適用)

一、該当法条 刑法二三五条

二、未決算入 刑法二一条

三、執行猶予 刑法二五条一項

四、訴訟費用負担 刑事訴訟法一八一条一項本文よって主文のとおり判決する。

(裁判官 上野智)

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